こんにちは。
Dream Artの似顔絵師の佐伯祐一です。
辛島美登里の「サイレント・イヴ」という1990年代にヒットした曲があります。
youtubeで音楽を流していたら、偶然この歌が流れました。
じいちゃんの好きだった曲です。
私は幼いころから、毎週じいちゃんにショッピングセンターやハイキングに連れていってもらっていました。
小学生のころ、千葉から大阪に引っ越すときには、通っていた絵の教室で描いた油絵を贈りました。
先生に引っ越すことを伝えて、最後の作品を自由に描かせてもらえるとのことになったので、迷わずじいちゃんが登ってみたいと言っていた富士山を描くことにしました。
小学5年生のころですが、この絵は今まで私が描いた作品の中でも、最高の作品だったような気がします。
そんな小さなころから絵が好きで、得意だった私ですが、大阪に来て、中学生になって…とだんだん描かなくなってしまいました。
その後、高校に入学した私は、反抗期が過ぎて中退してしまうことになります。
しかし、そんな中、将来を不安に思った私は、「絵で生きていきたい!」と思っていたことを思い出し、芸大に行くことを決意します。
その時点では、親にも迷惑をかけてしまっているので、働きながら自費で通信制の高校に通うことになりました。
大学も自分でお金を貯めて、入学しようと思っていました。
芸大の授業料の高額さも知らずに…。
家庭教師を雇ったり、予備校の短期講習に行ってっみたりと、芸大に入るために人生で始めての努力も経験しました。
そして、芸大に合格することができました。
大きなことを成し遂げた達成感を始めて経験し、家族も喜んでくれました。
そして、その頑張りを認めてくれた親が、芸大の学費を払ってくれることになりました。
そうなると私には、お金が残りました。
通信制の高校に行っていたころの仕事先にも信頼を得ていたので、大学の授業がないときは、できる限り働かせてもらうことができ、普通の大学生よりはお金も稼げていました。
だから私は、ちょっといい車を買いました。。。
そんなバカな私を、親は自分で稼いだお金は自由に使えばいいと、放っておいてくれました。
そんなとき、じいちゃんからの電話がありました。
分相応でない車を買ったことに、長時間の説教が始まったのです。
とても不快でした。
大学に入るまで我慢して努力して、やっと自由にお金が使えると買った車。
自分で稼いだお金で買って、維持しているのだから、文句を言われる筋合いはないと反論しました。
するとじいちゃんは更に激怒しました。
そんなに怒ったじいちゃんは始めてでした。
そのころの私は、ちょうど20歳くらいで、もう大人になったつもりでいたから、「じいちゃんの言っていることはおかしい!」と決めつけていました。
親にすべてを世話してもらっている学生のくせに。。
それから間もなく、じいちゃんは入院しました。
意識がなくなりました。
祖母、父、母、叔母、私が交代でじいちゃんの病院に泊まりました。
数週間後、じいちゃんは亡くなりました。。。
もう15年近く前の話しですが、やっぱりじいちゃんは正しかった。
じいちゃんが亡くなってからも数年、そのことに気づけなかった。
その後、社会人になって始めて気づき、今、改めてそのバカさ加減にうんざりします。
親にさんざん迷惑をかけたあげく、学費の高い芸大に入学して更に親への負担を増やしたのにも関わらず、大学に入学して更生した自分に満足して、ちょっといい車を買って乗り回していたバカ。
そして、そんなバカな自分のせいで、あんなに良くしてくれたじいちゃんとの最後の会話が、あんな風になってしまったこと。
「サイレント・イヴ」を聞くと思い出します。。